(能:船弁慶:源義経と弁慶に襲いかかる平知盛の亡霊) 本文へジャンプ
能の写真とあらすじ

敦盛(あつもり)
あらすじ
 一ノ谷の合戦で心ならずも平敦盛を討った熊谷次郎直実(くまがえのじろうなおざね)は、その菩提を弔うため出家して蓮生法師(れんせいほうし)となり、一ノ谷にやってきた。するとそこへ妙なる笛の音とともに草刈の男たちがやってくる。法師が笛のことを尋ねると、彼らは樵の歌や笛のいわれを語る。やがて一人だけを残して草刈の男たちは帰ってしまう。法師がなぜ一人だけ帰らないのかとその男に問うと、男は十念を授けて欲しい、自分は平敦盛の縁故の者だと言う。直実が念仏を唱えると、男は毎日毎夜の弔いがありがたい、自分こそは敦盛の霊だと言って消えてしまう。
 蓮生法師が夜通し回向
(えこう)をしていると、敦盛の亡霊があらわれる。敦盛はかつて栄華を極めた平氏一門が西国へおちのびていくまで、そして一ノ谷の合戦の前、陣中で愛用の青葉の笛を吹き今様を謡ったこと、舟に乗り遅れて岸にいたところを後ろからきた直実に討たれ最期を遂げたことを語り、その因果がめぐってあなたとまたこうしてお会いしたのだと言う。自らを殺した仇である直実こと蓮生法師を目の前に敦盛の霊は、もはやあなたは仇ではなく、ともに仏法を求める人なのだと言い残して消えていった。
(上:草刈り男下:敦盛の霊)


葛城(かづらき)

(雪の中あらわれた里女)

(大和舞を舞う葛城山の女神)
あらすじ
 出羽の羽黒山からやってきた山伏たち一行は、大和路を通って葛城山に着いた。するとまもなく吹雪となり、一行は立ち往生してしまう。そこへ一人の里の女があらわれ、自分の庵に泊めようと案内してくれる。女は寒さをしのぐために楚樹(しもと)を焚いてもてなそうと言い、それにまつわる和歌「楚樹結ふ葛城山に降る雪は間なく時なく思ほゆるかな」が大和舞の歌であることに思いいたるのだった。山伏たちがもてなしに感謝し、夜の勤行をはじめようとすると、女は自分のためにも加持祈祷をしてほしいと頼む。昔、葛城の神が葛城山から吉野の奥の大峰山まで岩橋を架けることを怠ったために、役行者(えんのぎょうじゃ)から咎められ、不動明王の索(さっく)に縛られて三熱(さんねつ)の苦しみを味わっていると訴え、女は自らがその神であると告げて消えてしまう。
 山伏が夜通し祈祷していると、葛城の神が美しい女神の姿であらわれ、祈祷に感謝する。そして葛城山こそ高天原だと語り、神楽
(かぐら)のはじめとして大和舞を舞う。やがて高天原からはるかに大和三山や天香具山(あまのかぐやま)を見はるかし、月の光に雪が降り輝く景色を讃えながら、夜が明けて醜いと言われる顔が照らされるのを恥じて岩戸の中へ消えていった。
 


安達原(あだちがはら)

(山伏を睨みつける鬼)
あらすじ


江口(えぐち)


松風(まつかぜ)

(上:汐を桶に汲む松風)
(下:形見を身にまとい、行平をしのぶ松風)
あらすじ
 旅の僧が須磨の浦に立ち寄り、松風・村雨という姉妹の海女の旧跡の松を弔う。日も暮れて一夜の宿を塩屋に乞おうと、主人を待っていると、浜辺を二人の海女が帰ってくる。二人は儚い暮らしを嘆いては袂を浪に浸しつつ月光きらめく汐を桶に汲み、その桶を乗せた汐汲み車を曳いて来るのだった。
 旅の僧は塩屋に招き入れられ、先ほどの松の旧跡の話をすると、二人はさめざめと涙を流し、自分たちこそその姉妹の霊であると明かす。昔、在原行平(ありはらのゆきひら)が須磨に流されたとき、寵愛を受けたこと、行平が都に帰って間もなく亡くなり、形見の烏帽子狩衣(えぼしかりぎぬ)を見ては悲しみがつのり、恋慕の思い耐え難く、二人もまた世を去ったことを語る。
 その形見を身にまとった松風は、松を行平と見て、かけ寄ろうとし、行平の「立ち別れ因幡の山の峰に生ふる松とし聞かば今帰り来ん」の歌に行平を慕って舞い続ける。やがて夜も明ける頃、旅の僧に回向を頼んで二人は幻のように消えていった。
 

石橋(しゃっきょう)
 あらすじ                                       
 大江定基(おおえのさだもと)は、出家して寂昭法師(じゃくしょうほうし)となり、中国山西省の清涼山(しょうりょうさん)に参詣した。そこには石橋(しゃっきょう)という不思議な橋があり、下は千丈の谷、橋の向こうは文殊菩薩の浄土である。そこへ一人の木樵が現れ(実は文殊菩薩の化身)、橋の奇瑞を語り、人には渡れない橋であると戒める。木樵は少し待てと言って消えてしまう。                          
寂昭が待っていると、対岸に咲き乱れる牡丹の花の間から、文殊菩薩の愛獣である獅子
の親子が現れて、石橋の上で雄々しく舞戯れるのだった。(写真:石橋で舞戯れる獅子・白獅子が親、赤獅子が子)
 


井筒(いづつ)

(上:男装して井戸に姿を映す井筒の女の霊)
 あらすじ
 諸国一見の僧は、旅の途中、奈良の在原寺(ありはらでら)に立ち寄った。ここは伊勢物語にある、在原業平(ありはらのなりひら)と紀有常(きのありつね)の娘の旧跡である。僧が古塚を弔っていると、数珠と榊の葉を持った女が現れ、井戸の水を汲み塚に手向けた。女は僧に問われるままに二人の恋物語を語った。井筒と背比べをして遊んだ幼なじみの二人は、年頃になって、「筒井筒、井筒にかけしまろがたけ生いにけらしな妹見ざるまに」「くらべこし振分髪も肩すぎむ君ならずして誰かあぐべき」と歌を詠み交わし、夫婦となった。しかし夫は河内の国高安(たかやす)の女に通うようになった。井筒の女はそれに対し、「風吹けば沖つ白波龍田山夜半にや君が一人越ゆらむ」と詠んだので、夫は通うのをやめたのだった。女は自分こそ井筒の女の霊であると語って姿を消す。
(中入)
 秋の夜もふけ、僧の夢の中に、業平の形見の直衣(のうし)と初冠(ういこうぶり)をつけて男装した女が現れる。女は序の舞を舞い、井筒の水鏡に姿を映して業平の面影をしのんでいたが、やがて夜が明けて寺の鐘の音に、僧の夢はさめたのだった。

巻絹(まきぎぬ)
あらすじ
 勅命により、諸国から千疋(せんびき)の巻絹(軸に巻き付けた絹の反物)が熊野権現に奉納されることとなったが、都からの巻絹だけが期日に遅れて届く。都の男は熊野に着くとまず音無の天神に参詣し、冬梅の香に一首の歌を詠んで神に手向けていたのだった。男は遅れた罪で臣下達に縛り上げられてしまう。その時御幣(ごへい)を持った巫女が現れ、男の縄を解くように言う。巫女には音無の天神がのりうつっていたのであった。和歌を手向けていたために遅れたと話す巫女に臣下が信じられないと言うので巫女は男に上の句を言わせて自分は下の句を続けた。こうして男の罪は許される。巫女はさらに和歌の功徳を説き、御幣を振って祝詞(のっと)を捧げ、神楽(かぐら)を舞うが、やがて御幣を投げ捨てると神懸かりの状態からさめて我に返ったのだった。

(御幣を手に祝詞を捧げる巫女)

芦刈(あしかり)
(上:笠を手に、笠尽くしの舞を舞う左衛門  下:正装した左衛門) あらすじ
 日下(くさか)の里(現在の東大阪市)に住む日下左衛門は、生活の貧しさから妻と別れた。妻はその後都に上り、高貴な家の乳母となって豊かに暮らすようになったので、三年ぶりに日下の里に下ったが、夫は行方知れずになっていた。そこへ芦売りの男が来て、御津(みつ)の浜の春景色を讃え、笠尽くしの歌を面白く歌い舞った。妻はその男が昔の夫であることに気付き、芦を買い求めた。男は芦を渡すとき初めて妻に気付いて近くの小屋に隠れる。妻はその近くに行って声をかけ、二人は和歌を詠み交わして、互いの昔と変わらぬ情を確かめ合う。そこで左衛門は武士の正装に改めて、今は春べと喜びの舞を舞い、妻と共に都に帰って行った。

杜若(かきつばた) 恋之舞(こいのまい)
あらすじ
 諸国一見の僧が、三河の国に来ると、川筋がいくつにも分かれた沢辺に杜若(かきつばた)の花が咲いているので眺め入っていると、一人の若い女が来て、「ここは八橋(やつはし)といって、伊勢物語にある杜若の名所です。在原業平(ありわらのなりひら)が東下りのとき、この杜若を見て都の人を思い出し、〈かきつはた〉の五文字を句の上に置いて名歌を詠まれた場所です。」と語り、さらに僧を庵へと案内し、美しい冠・唐衣を身にまとって現れ、「私は杜若の花の精で、その歌に詠まれた唐衣と業平の初冠を、形見として持っているのです。この和歌の功徳によって、杜若の花も成仏できたのです。」といい、伊勢物語の数々を語りながら、美しい姿で舞を舞う。そのうちに夜はほのぼのと明け、僧の夢もさめた。
(在りし日の業平でもあり、
二条の后高子でもある姿をした杜若の精)


鵺(ぬえ)
あらすじ
 
摂津の国芦屋に着いた旅の僧は一夜の宿を求めるが断られ、毎夜光り物が出るという州崎(すさき)の御堂に泊まることにする。夜が更け、僧の前に空船(うつおぶね)が夜の波に漂ってやってきた。船には不思議な人物が乗っていた。その者は自分が、近衛天皇の時代に源頼政に射殺された鵺(ぬえ)という怪物の亡霊であることを告げ、そのときの有様を語って僧に回向を頼んで波間に姿を消す。僧の読経に本性を現した鵺は頼政に退治され、不幸な末路をたどったことを語り、救いを求めながら海中に消える。
(自らの最期を再現する鵺の亡霊)

楊貴妃(ようきひ)
あらすじ
 唐の玄宗皇帝(げんそうこうてい)は亡き楊貴妃の魂の在処を方士(ほうし)に探させる。蓬莱宮(ほうらいきゅう)に赴いた方士は楊貴妃の魂と出会う。貴妃に会った証拠に皇帝と交わした秘密の言葉などを教えて欲しいと方士が頼むと、楊貴妃は皇帝と二星(じせい)を誓ったことや、自分が元は仙女であったことを語り、皇帝との思い出深い曲を舞って、泣きながら方士を見送る。(上下:楊貴妃の霊)

藤戸(ふじと)
 源平合戦の最中、備前の国(今の岡山県)の藤戸(ふじと)で、舟に乗って戦う平家に対し、源氏の大将・佐々木盛綱(ささきもりつな)は、馬の乗り入れられる浅瀬を地元の漁師から聞き出すが、漁師が他言するのをおそれて、斬り殺し、海に沈めてしまう。果たして源氏は平家を追いつめ、盛綱は功績を認められて児島の領主を賜ったのだった。

あらすじ
 佐々木盛綱は、藤戸の先陣の功によって賜った備前の児島に、初めて領主として来ると、訴え事があれば申し出よと領民に触れを出した。すると年老いた女が来て、罪もない我が子が海に沈められたと恨みを述べる。盛綱は隠しきれずに、浅瀬を教えてくれた漁夫を殺して海に沈めたことのいきさつを話す。老母は愛児を失った悲しみを盛綱にぶつけ、我が子を帰せと詰め寄る。盛綱は自らの非を詫び、手厚い弔いを約束して、老母を家へ送り返す。盛綱が弔いをすると、漁夫の怨霊が痩せ衰えた姿で現れる。怨霊は殺されたときの恨みを述べて、盛綱に襲いかかろうとするが、弔いの功徳で成仏する。
 
(漁夫の怨霊)   


菊慈童(きくじどう)
(楽(がく)を舞う慈童) あらすじ
 魏の文帝(曹操の息子)に仕える廷臣が、勅命を受けて薬水の水源を探りにに赴く。その山奥の菊の咲き乱れた仙境に慈童という童顔の仙人がいた。慈童は太古の王朝・周に仕えていたが、王の枕をまたいだ罪でこの山に流されたのだった。その時王は法華経の妙文を枕に書いて慈童に賜った。その文言を菊の葉に写して水に浮かべると、葉から滴るしずくが不老不死の薬となり、以来慈童は数百年間年を取らなかったのである。慈童は勅使の前で楽しげに舞を舞い、帝に長寿を捧げて祝福の言葉を述べる。

葵上(あおいのうえ)
あらすじ
 光源氏(『源氏物語』の主人公)の正妻・葵の上が病の床につき、朱雀院に仕える臣下が病因を知るため、巫女に梓(あずさ)の法を行わせると、梓の弓の音に誘われて、一人の貴婦人が破車(やぶれぐるま)に乗って現れる。名を尋ねると六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の怨霊だと名のる。かつては春宮妃(とうぐうひ:皇太子妃のこと)として宮廷で最も華やいでいたが、春宮に先立たれ、そののち源氏と親しくなるも、しだいに仲は遠ざかり、今は誰も顧みる人さえいなくなったと嘆く。御息所はその気位の高さゆえに悩み、源氏の愛を奪った葵の上を恨んでいた。いきさつを話すうち、御息所は憎しみのあまり葵の上の枕元に迫って打ちたたきなどするが、呪いを残して姿を消す。葵の上の容体の急変に横川小聖(よかわのこひじり)がよばれ、祈祷(きとう)が行われると、鬼相をなした御息所の怨霊が現れて聖に立ち向かうが、ついに祈り伏せられる。
(般若(はんにゃ)の面は御息所の顔ではなく心を表している)

羽衣(はごろも)
(喜びの舞を舞う天人) あらすじ
 駿河の国・三保の松原に住む漁師の白竜が、松の枝に掛けてある美しい羽衣を見つけて持ち帰ろうとすると、天人に呼び止められる。天人は、その羽衣がないと天に帰れないと言って嘆き悲しむので、白竜は、羽衣を返す代わりに天上界の舞を見せて欲しいと言う。天人がそれでは羽衣を着て舞を舞おうと言うので、白竜は返したら舞わずに帰ってしまうのではと疑うが、天人は、「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と応え、白竜は恥じ入って羽衣を返す。天人は喜んで羽衣をまとい、三保の松原の春景色を愛でながら舞を舞い、富士の山を見下ろして空遠く去っていくのだった。


富士太鼓(ふじだいこ)
(上:鳥兜(とりかぶと)をかぶり、形見を身につけて太鼓を打つ富士の妻。下:富士の娘 あらすじ
 摂津の住吉社の楽人・富士(ふじ)の妻は、夫の安否を気づかって娘と共に都に上り、内裏に赴くが、官人から夫の死を知らされる。富士は内裏で催される管弦の会に太鼓の役を望んで出向いたのだが、すでに勅命で召されていた天王寺の太鼓の楽人・浅間(あさま)が富士の行動を憎んで殺害したのであった。官人から夫の形見の装束を手渡された妻は、夫の高望みを恨み嘆く。そして夫の形見を身につけると、あの太鼓こそ夫の仇だと言って打ちたたくが、いつしか夫の霊が妻に乗り移って楽(がく)を舞い、また思い切り太鼓を打つ。こうして恨みを晴らした妻は娘と共に故郷へと帰っていく。

花月(かげつ)
あらすじ
 七歳の子供が行方不明となったことから出家した男が、都の清水寺(きよみずでら/せいすいじ)に行くと、そこで花月(かげつ)と名乗る少年が門前の者と小歌(こうた)を楽しんだり、弓で花の枝の鶯(うぐいす)を狙ったり、清水寺縁起の曲舞(くせまい)を舞ったりして興じている。よく見るとそれは成長したわが子であったので男は喜んで親子の対面をする。花月は大いに喜んで門前の人との別れに鞨鼓(かっこ)の舞を舞い、さらに幼時に天狗にさらわれて諸国の山々を巡った思い出を物語った末、父に伴われて修行の旅に出る。
(花月は弓矢を手に舞う(弓ノ段:ゆみのだん)

熊坂(くまさか)

(長刀を手に牛若丸を捜し回る熊坂)
あらすじ
 都に住む僧が、東国修行の旅に出て、勢田の長橋を渡り、美濃国(今の岐阜県)赤坂まで来ると、一人の僧に呼び止められ、今日はある人の命日なので、弔ってほしいと頼まれた。その僧の庵に案内されたが、そこには仏像もなく、長刀などが置いてあるので、不審に思って尋ねると、「このあたりは山賊や夜盗が出没し、被害者の泣き叫ぶ声が聞こえる時には、僧ではありながら、長刀を持って助けに行くのです。衆生を救う方便として、仏もお許しくださるでしょう。」といい、寝所に行くと見せて姿を消し、庵も消えて、気がつくと旅僧は草むらに一夜を明かしていた。
 旅僧は所の人から、この地で牛若丸に討たれた大盗「熊坂長範(くまさかちょうはん)」の話を聞き、夜もすがら読経していると、熊坂の霊が現れて自らの最期を語る。
 京都三条の金売吉次の一行が、財宝を積んで奥州へ下る途中、赤坂に泊まる。襲って宝を奪おうと、熊坂は屈強の手下を揃えて待つが、酒宴の後眠り込んだ吉次一行の中にただ一人、十六・七の小男(うしわかまる)は一睡もせず、松明を投げ込み乱入した賊十人ばかりを、たちまち討ち果たす。驚いた熊坂は一旦諦めまた引き返し、小男を狙って詰め寄り、大長刀を振るって縦横無尽に戦うが、相手を見失い、長刀を捨てて手捕りにしようとしたが、ついに力尽き、この松蔭の露と消えたのだった。熊坂の霊は旅僧に、あとをよく弔うように頼んで夜明けとともに消えていった。

花筺(はながたみ)
(花籠を手に皇子を懐かしむ照日前) あらすじ
 越前の味真野(あじまの)に住む照日前(てるひのまえ)は大迹部皇子(おおあとべのみこ)と仲睦まじかったが、ある日皇子は皇位継承者として都へ上らなくてはならなくなった。別れに際して、皇子は使者に託して照日前に文と花籠を渡す。後に即位して継体天皇(けいたいてんのう)となった皇子は警護の官人に守られて紅葉(もみじ)の御遊に出かける。そこに侍女に花籠を持たせた狂女が通りかかる。官人が見苦しいと言ってその籠を打ち落とすと、狂女はこれは愛しい人の形見だと言って越前での日々を懐かしむ。さらに漢の武帝と李夫人の細やかな情愛を描いた曲舞を舞って見せる。やがて天皇がそれと気づき、正気に戻った照日前を連れて皇居へ帰るのだった。

船弁慶(ふなべんけい)
あらすじ
 源義経(みなもとのよしつね)は、兄・頼朝(よりとも)との不和から都落ちをすることとなり、武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)ら一行と共に西国へと向かう。途中、摂津の大物浦(だいもつのうら)の船宿で、あとを慕ってきた静御前(しずかごぜん)が自分も一緒に連れて行って欲しいと嘆願するが、義経は都へ帰るよう告げる。静は今生の別れと知りつつも義経の前途幸運を祈って舞を舞い、涙ながらに立ち去る。その後一行が海上に出てしばらくすると、にわかに暴風が吹き荒れ波が高くなって、平家一門の亡霊が沖に浮かび上がる。なかでも平知盛(たいらのとももり)の怨霊は薙刀(なぎなた)をふるって襲いかかってきたので義経も刀を抜いて応戦するが、弁慶の法力に破れて亡霊は退散する。
 

(上:義経との別れに舞を舞う静御前。
中:義経に襲いかかる平知盛の亡霊。
下:舟の上で刀の束(つか)に手をかける義経。)


熊野(ゆや)
(花見の車の中から都の春を眺める熊野) あらすじ
 遠江(とうとおみ)池田の宿の長・熊野(ゆや)は、平宗盛(たいらのむねもり:平清盛の息子)の愛妾で、長らく都で暮らしていた。ある日、故郷から侍女の朝顔が来て、老母の病が重いことを熊野に告げる。熊野は母からの文を宗盛の前で読み上げ、暇をくれるよう頼むが、宗盛はそれを許さず、かえって花見の供についてこいと言う。花見車に乗って外を見ると、東山へ行く人々は華やかな都の春を楽しんでいるが、熊野の心は遠く母を案じて暗い。東山に着くと酒宴が始まり、熊野はしぶしぶ舞を舞う。そのうち、にわかに村雨(むらさめ)が降って桜を散らすのを見て、熊野は明日をも知れぬ母の身を思う。そして涙ながらに和歌を詠んで短冊にしたため、宗盛に見せると、さすがの宗盛も哀れに思って帰郷を許したので、熊野は観音のおかげだと喜び勇んで帰っていく。


経正(つねまさ)
 平経正(たいらのつねまさ)は平経盛(たいらのつねもり)の子で、清盛や忠度(ただのり)の甥にあたる、平家の美しい公達(きんだち)である。歌人として名高く、また琵琶の名手であったので守覚(しゅかく)法親王(ほっしんのう)に可愛がられ青山(せいざん)の琵琶を賜った。後に一ノ谷の合戦で討死にした。

あらすじ
 仁和寺(にんなじ)の僧・行慶は、守覚法親王の命で平経正の霊を弔うため青山の琵琶をを仏前に供え回向(えこう)をする。夜も更けた頃、灯火にかすかに浮かぶ経正の霊は、弔いのありがたさにここまで現れたという。声ばかりで姿は見えない経正の霊はやがて手向けてあった青山の琵琶を手にとって奏で、舞を舞うが、それもつかの間、修羅(しゅら)の苦しみが経正を襲う。霊は修羅道におちて苦しむ姿を見られるのを恥じて灯火を消そうとし、姿は嵐と共に消え去った。
 
(経正の霊)     


龍田(たつた)
(神殿から現れた龍田姫の神霊) あらすじ
 六十余州に経を納める僧が奈良の都から龍田越えにさしかかり、河内(かわち)にでるため龍田川のほとりまでやってきた。折しも紅葉(もみじ)の盛りで、龍田明神に参ろうと川を渡ろうとするが、そこに一人の巫女が現れ、心なく川を渡らないで欲しいと言う。僧は古歌を思い出し、川に流れる美しい紅葉の錦を、渡ることで絶やさないで欲しいということだと悟るが、今は川に薄氷も張っているから許して欲しいと答える。巫女は藤原家隆(ふじわらのいえたか)の歌を引用して、紅葉の錦を閉じこめている薄氷を破ることになると言う。巫女は僧たちを明神へ案内すると、やがて自分は龍田姫(たつたひめ)であると明かして社壇の中に消える。夜になって僧たちの前に神殿から龍田姫の神霊が現れ、明神について語り、紅葉を愛でて、神楽を奏するのだった。
 


山姥(やまんば)
あらすじ
 山姥の山めぐりの曲舞(くせまい)で有名になった都の遊女は百万山姥(ひゃくまんやまんば)と呼ばれていた。その遊女が男達を連れて善光寺(ぜんこうじ)へ参る途中、越後の上路(あげろ)の山にかかると、日中なのに急に暗くなった。そこへ中年の女が現れ、自分は実は山姥だが、例の山姥の曲舞が聞きたくて日を暮れさせたのだと言って立ち去る。夜が更けると山姥は本当の姿を現し、遊女の舞う曲舞に合わせて舞った後、本当の山めぐりのさまを見せ、峰を伝い、谷を駆けて姿を消す。
 
※山姥とは山の精霊と考えられ、全国に様々な伝承がある。
(曲舞を舞う山姥)   


野宮(ののみや)
あらすじ
 旅の僧が京都・嵯峨野(さがの)の野宮の旧跡を訪ねると、そこに若い女が来て、この野宮は昔、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ:源氏物語の登場人物)が、伊勢の斎宮(さいぐう:未婚の内親王が選ばれる)となった娘と共に潔斎のために籠もった場所であると話す。御息所は春宮妃(とうぐうひ:皇太子妃のこと)として宮中でときめいていたが、春宮に死別し、その後光源氏との愛にも破れて寂しい身の上となって、伊勢へ下る決心をしたのだという。そして女は、自分こそが御息所であると言い残して消える。夜になると御息所がかつての姿で現れ、かつて、賀茂の祭り(かものまつり:葵祭りのこと)見物の折りに、車を止める場所を光源氏の正妻・葵上と争って恥辱を受けたことなどを語り、昔を懐かしんで舞を舞う。
(野宮の黒木の鳥居の前での
御息所)


天鼓(てんこ)

(上:鼓を見る天鼓の霊 下:王伯は宮中で鼓を打つ)
 中国に昔、王伯(おうはく)、王母(おうぼ)という老夫婦がいた。あるとき王母は天から鼓が降ってきて体内に入ったという夢を見て懐妊したので、生まれた子供に天鼓(てんこ)と名付けたところ、本当に鼓が天から降ってきた。天鼓はその鼓を愛用していたが、噂を聞きつけた帝が鼓を召し上げようとしたため天鼓は逃げたが、山中で捕まり、呂水(りょすい)に沈められて死んでしまった。ところが鼓は宮中で打ってみても音がしなくなってしまった。そこで帝は父親の王伯を呼び出した。

あらすじ
 勅命を聞いた王伯は戸惑うが、天鼓の命を奪った帝を一目見ようと、勅使に従い宮中にやってきた。王伯が帝の命令通り鼓を打つと、果たして鼓は素晴らしい音を出したので、帝も感じ入って、鼓を呂水のほとりに据えて、天鼓を弔うことにした。夜半になって、天鼓の霊が現れ、再び大好きな鼓に出会えた喜びに鼓を生き生きと打ち鳴らして舞い遊び(楽:がく)、夜明けと共に消えていく。
 


二人静(ふたりしずか)
あらすじ
 奈良・吉野の野辺で若菜を摘む菜摘女の前に一人の女が現れ、吉野の社家の人に、自分の供養のため写経をして欲しいとの伝言を頼むので名を尋ねると、もし疑われるようなことがあったらあなたに取り憑いてくわしく素性を話しましょうと言って、女は消える。
 菜摘女が神職に事の次第を告げるうち、突然先ほどの女の霊がのりうつる。女の霊は静御前と名乗り、昔自分が着た装束が宝蔵にあると言うので、宝蔵を開けるとはたしてその衣装があった。その装束を着て女が舞ううち、静御前の霊が同じ装束の姿で現れ、女と共に舞い始める。霊は義経が吉野山を落ちのびたことや、頼朝に召し出されて舞ったことなどを語ると、回向を頼んで消えていった。
 
(静御前の霊とそれに操られた菜摘女が同じ舞を舞う、シンクロナイズド静!)


猩々乱(しょうじょうみだれ)
あらすじ
 中国の揚子(ようす)の里に、高風という酒売りがいた。その店へ近くの海中に住む猩々が来て、酒を飲んで舞い戯れ、いくら汲んでも尽きない酒瓶を高風に与えて祝福する。
(左:酒瓶を覗き込む猩々)


海士(あま)
あらすじ
 時の大臣・藤原房前(ふじわらのふささき)は、生母が讃岐の志度(しど)の浦の海士だと知って、その地を訪れる。通りかかった海士に母のことを訪ねると、母の死の経緯を知っていた。それによると、かつて房前の父・藤原淡海(ふじわらのたんかい:藤原不比等のこと)は、唐土から送られてきた宝珠が竜神に奪われてしまったので取り戻そうとこの地まで来たのだが、どうすればよいか迷っていた。その時淡海と契りを交わした海士が、自分が産んだ男の子を正式な跡継ぎにしてくれるなら私が取ってきましょうと言う。淡海がそれを約束すると海士は海底にもぐり、竜宮に飛び入って宝珠を盗み取る。後を追いかけてくる竜神は死人を嫌うため、海士は自分の乳房の下を割いて玉をそこへ押し込める。海上に引き上げられた海士は嘆く淡海に玉の在処を教えて息絶える。その後約束通り跡継ぎになったのが房前であった。通りかかった海士は実は自分こそ、その海士だと告げて海中に消える。
 房前が母のために丁重な法事を営むと、母の霊は成仏を喜んで法華経を手にした竜女の姿で現れ、経文を唱えて舞を舞う。
 
(法華経を唱える竜女/房前の母)